雪の二条城で京都のいけず伝説の真髄を見てきた
二条城は普段入れるところの東大手門が現在改修工事中のため、北大手門へ回らなければなりません。
そうと知らずに東大手門に行ってしまったら、ぐるーっと回るの結構つらいですよね。でもそこに、道中を楽しませてくれるコンテンツが用意されていました。
「あいつ……頭高くない?」
と今にも言い出しそうな(?)家康公。解説によると、二条城は初代家康公、二代将軍秀忠、三代将軍家光、十四代将軍家茂、十五代将軍慶喜の5人は二条城を訪れたものの、他の将軍は二条城に足を踏み入れていないそうです。
で、それぞれの将軍の解説が、なんというか、そこはかとなくいけず感が出ているのです。各将軍が二条城に来なかった理由を解説しつつ、こう、遠回しに嫌みを言っているのではと思ってしまうのは、京都のいけず伝説に僕がびくびくしているからでしょうか。
ちょっと紹介していきましょう。
まずは四代将軍家綱。
あー、左様せい。
が口癖だったので、家臣に言われるがままに来なかったのですね、と。
ちなみに左様せいは英語で言うとAh, I think you're right.なんですね。なるほど。
そして五代将軍綱吉。
先代が行かなかったけど、能楽見たかったでしょう、と。
六代将軍家宣はこんな感じ。
こちらも先代に続いていてこなかったのですね。さすがは人格者ですね。とか何とか。
ちくりちくりときています。
八代将軍吉宗はこんな感じ。
暴れん坊将軍は享保の改革を行った倹約家で有名だったから、倹約のために来なかったのですね、と。
十代将軍家治はこう。
将棋が好きで有名だったので、将棋に忙しくてこられないんですね、と。
ところで二4桂馬という表記よりも2四桂馬の方が現在主流の表記だと思います。でもってそこで詰みということは、先手だったら後手が左美濃囲いとかで1筋の歩をついていない状態かなあ(かなりどうでもいい考察)
十二代将軍家慶はこんな。
さぞかしお金がなかったんでしょう、と。
十三代将軍家定はこう。
英語大変ですね。
この、「行くどころではなかったであろう」がじわじわきます。
というわけで、これらの看板はおそらく北大手門が公開されている間だけだと思いますので、今のうちに見に行くといいですよ!